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国立がん研究センター

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石川県能登半島地震の看護師派遣支援から見えたNCC看護師の誇り~二人の看護部長

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2024年1月1日に発生した石川県能登半島地震。建物の倒壊などで200名以上の方が犠牲になりました。厚生労働省からの看護師派遣の要請に基づき、各国立高度専門医療研究センター(NC)から看護師が派遣されました。第1班の国立国際医療研究センター、第2班の国立循環器病研究センターに続き、国立がん研究センター(NCC)からは1月22日から28日(第3班)と、2月21から27日(第9班)に各5名の看護師を石川県珠洲市総合病院へ派遣し、不慣れな三交代や過酷な環境下で、病棟管理、救急外来・発熱外来等の業務支援に当たっていただきました。調整に当たった中央病院 關本 翌子(せきもと あすこ)看護部長(以下關本:写真右)・東病院 栗原 美穂(くりはら みほ)看護部長(以下栗原:写真左)にお話を伺いました。

NCC全体で取り組んだ看護師派遣支援の輪を感じて、能登半島へ向かう。

――「今回大規模災害が発生した時に、私たちができることは何か?」というテーマで關本看護部長と栗原看護部長で対談を行っていただけたらと思っております。過去に今回のような経験はあったのでしょうか?


關本:2011 年に東北大震災の時に、医師や看護師の派遣要請があり被災地に行きました。1995年にも有志の医療職が阪神大震災被災地への支援に行ったと聞いています。


――では期間が空いて今回の派遣だったのですね。


栗原:派遣要請が病院単位ではなく、看護師だけっていうのは全く初めてでしたね。


關本:しかも避難所への看護派遣ではなく被災した病院・施設への支援を目的とした派遣は初めてでした。


――では当時の様子を思い出していただきたいのですが、派遣要請を受けたのはいつ頃だったのでしょうか?


關本:新年早々3連休の1月7日の夜の8時ぐらいに当時の統括事務部長から両看護部長や病院の幹部に対して厚生労働省からの要請で「能登地震への各NC(国立高度専門医療研究センター)の看護師派遣のお願いについて」というメールが入ったのが始まりです。その当時は派遣の時期もわからなかったですし、派遣人数も看護師5名から10名程度と曖昧でした。条件は病棟の管理ができる者、1 週間以上対応可能な者、ということで派遣の内容がはっきり見えず不安でした。


關本:私たちも二人で、水も出ない下水も流れないという状況で、いかに安全に看護師たちを派遣するかを真剣に考えました。


栗原:どんな看護師を派遣したらいいかっていうことも、二人で一番たくさん相談した部分です。管理的な視点を持った看護師ということが書かれていたため、私たちは以下の条件を設定しました。1つ目は、看護チームをまとめる力がある、2つ目は、指示がなくても自分で考えて行動ができる、3つ目は自立した行動ができる、です。

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――その条件を元に実際に看護部へ声をかけてみた反応はいかがでしたか?


關本:まだ派遣期間も、時期も色々未定で不安な状態ではあったのですが、中央病院の看護部に声掛けをすると、嬉しいことに2日間で35名の手上げがありました。


栗原:東病院も募集を開始する前に、副看護部長たちに、能登の被害の状況や今回の募集の件を相談した際に、「東病院には災害支援について勉強してる人もいるし全く問題ないですよ!」と心強い言葉を返してもらいました。結果的に30名程の手上げがあり、看護部には国立がん研究センターの使命である「社会と協働し、全ての国民に最適ながん医療を提供する」の通り、全ての人に医療を提供するという部分を理解している人ばかりなのだなと感じました。また1月というのは両院ともに看護師の勤務人数が少なく、勤務のやりくりが大変な時期です。災害派遣に行かないスタッフも「中央病院・東病院に残って頑張る」という意思表明をして、派遣者を送り出してくれたり、部署全体が災害派遣に協力するという意識を持ってくれました。


關本:そうそう、「災害派遣を送り出した病棟へ手伝いに行きますよ」という声が自然に上がり、派遣に赴く看護師長の日当直勤務もあっという間に交代してくれ、結果的に看護部全員が被災者支援に関わったという一体感がありました。
看護部だけではなく、総務課・調達課などの事務部門、栄養管理室が迅速に動いてくれ、両院で連携して、オンラインミーティングをすぐに行い、移動手段や現地に持ち込む物品、睡眠や食事についてなど事細かく手配してくれて、いろんな職種が関わってくれたことに感謝しています。災害派遣で看護に専念できる環境は、看護部だけでは実現しなかったと思います。


――NCC全体を巻き込んでの取り組みだったということですね。

強い自立心と、変わりゆく状況に対応できる判断力をもったNCの看護師たちは誇らしかった。

――実際に派遣された方の感想はどのようなことをおしゃっていましたでしょうか?大変だったな…といった感想だったのでしょうか?


關本:いや、大変だったってことは、実はあまり聞いていないです。
1月22日~28日の第3班として派遣された看護師はお風呂も入れない状態だったようで、送り出した私たちとしても切ないなと感じていたのですが、その看護師は「お風呂嫌いなので大丈夫です!」と明るく返してくれて、彼女のユーモラスにほっとしました。結果的に、「NCCの看護師はどこにいても自分で考えて行動できる」ということを証明してくれたなと思い誇りに感じました。


栗原:東病院の派遣の報告会があった際に印象的だったのは、派遣された看護師が第一声で「自分たちの立場で何ができるのか、能登に向かった当初はとても不安であったが、私たち看護職がすべきことは全国共通であることが分かった。」と言ってくれたのはとても嬉しかったですね。

 

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――派遣された方々が1つの軸を持った活動ができたっていうことの表れなんじゃないかなと思いました。派遣された看護師に対して両看護部長はどのようなアプローチをしていったのでしょうか?


關本:1月22日~28日の第3班も、2月21日~27日の第9班も同じですが、当時はオンラインミーティングを毎日行って、顔が見えるだけで嬉しかったのを覚えています。夜勤の事とか、体調の事、当時能登は雪が降っていたので気候のことなど話してくれました。その中で第3班と第9班が違うな、と感じたのが、第9班になると災害の支援や復旧も進んできて、ある程度の人的リソースが戻ってきます。災害支援として派遣されたNCC看護師の役割も変わってくる中で、「自分たちが支援しすぎてもいけないんだ、病院の機能やリソースが元の状態に戻っていくことが目的だ」ということを自然に感じていたようです。


栗原:私たちもオンラインミーティングを通して、支援がこれだけ刻々と変わっていくんだなっということを感じました。この派遣はNCの看護師が順番に派遣されていて、国立国際医療研究センターの第1班が行った時は床に食べ物を置いて食べているような状態だったと聞いています。その後から簡易ベッドができたり、テントが準備されたり、暖房が入ったりなど刻々とインフラも変わっていっていましたね。


――では看護師派遣というバトンをNCが受け渡して繋いでいく中で、どんどん被災地の状況が改善し、看護支援で求められることが変わっていったっていうことですね。

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栗原:最初は被災地の看護師も、病棟で寝泊まりをして疲れ切っている状態でした。その時期は、現地の看護師にできるだけ休んでもらうとか、困ったことがある方には十分なコミュニケーションを取って話を聞くということが中心だったようですが、第9班の派遣時期は、現地の看護師が日常の業務を取り戻してきた段階で、週単位で違う人たちが手伝いにくる戸惑いがあったり、慣れない物品の使い勝手だったり、患者さんに対しての正しいケア方法が分からないなどのニーズがあったようです。この時の派遣者は、現地の看護師とNCCの看護師で座談会を開いて相談をいつでも受けられるような体制を取っていました。NCCの看護師はフェーズに合わせてニーズが変わっていくことにきちんと対応したのだなと感じました。


――では第3班と第9班で派遣する看護師の条件は変えていったのでしょうか?


關本:いいえ、基本的には「強い自律心のある看護師」、「状況に合わせることのできる看護師」であることは変えていませんね。第9班に関しては、復旧も進み、人が戻ってくる中で、自分自身や仕事以外のことに目を向ける時間があったのではと思います。被災した中で、現地の看護師もNCCの看護師も心が落ち込むことが多いと思うのですが、自分の自慢の分野を語り合う会を持ち、コミュニケーションのきっかけを作ってきてくれたと感じます。
また、私たちが感じたのはNCの看護師の結びつきは大変強いなと思いました。
NCCの看護師よりも国立国際医療研究センターや国立循環器病研究センターが先に派遣されているわけですが、前の班からは、持ち物・業務にあたる心持ち、どんな役割があるかまで事細やかに伝えてくれて、そのバトンを引き継いで活動ができたということは大変力強かったです。


栗原:被災地派遣での作業申し送り書は、最初はただの1枚の文章だったのですが、最終的には10数バージョンになったと思います。最後は業務手順書になるくらいにきっちりと書き込まれているものでした。あの書類を見ると、NCの看護師たちってやっぱりすごいなと思いました。


關本:本当に誇りに感じましたね。


栗原:両院に務めている看護師たちは、国立病院に勤めているということを普段あまり口にしないですし、私自身看護師たちはメリットや誇るべきことと思っているのかな、と疑問に思っていました。しかし今回のNCの看護師たちのそれぞれの行動を見ていると、国立病院としての使命や国の機関として、国民のために支援をするという心が根付いているのだなと思いました。


――NCCだけじゃなくNCの看護師の誇りを感じられたということですが、今後はこの派遣を通して得たことや、今後にどのように生かしたいなど、思いはありますか?


關本:被災地の支援という体験は願ってできるものではないですが、今回体験したことによって、国立がん研究センターの使命を強く感じたという思いです。困難な状況にあっても、国民のためにできることをする、看護師には困難な状況でもできることがある、それを考えて実践してくれる自律した看護師たちの集まりなのだなと思いました。また今回の体験は今後も語り継いで国立がん研究センター魂として引き継いでいかなくてはならないと思います。


栗原:災害のパターンは一つではなく、次の機会に全く同じ支援をすればよいとは限りません。そんな中だからこそ、NCCの看護師たちは、何か行動しようとするときは、行動の規範となる軸をしっかり持っているということと、誇りと自覚を持って自律した行動ができる人達だということを再認識できました。別のフェーズになったとしても、十分に相手の心に配慮した看護支援ができる人たちだなっていうことを感じました。

最後に伝えたい言葉

栗原:理事長が全職員に看護師が能登の災害派遣に行くということを一斉メールで全職員にお知らせしてくださったんですね。これによって様々なセクションの方から「本当にありがとうございます」っていう言葉をいただきました。NCCとして応援してくれているということが一番の心の支えになったと感謝をお伝えしたいです。


關本:石川県出身の職員から看護部にありがとうございましたという言葉をもらいました。自分が被災した当日避難した病院であり、そこに仲間が行ってくれることを誇りに思うと言ってくれました。看護部だけでなく、センター全体でやっているということも理事長から伝えてもらって、声をかけて頂き、すごく励みになりました。ありがとうございました。

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第3班に派遣された方々

中央病院 15B 看護師長 輕部 幸子(かるべ さちこ)

輕部 幸子(かるべ さちこ)

私たちが支援に入ったのは、発災から21日後でした。発災時から休みなく病院スタッフが泊まり込みで対応している姿に災害現場の現実を感じました。災害の急性期が過ぎようとする段階でDMAT撤退にむけ刻々と変化する支援状況に合わせて活動をし、支援を「繋げる」というシンプルですがとても重要な看護師としての柔軟性が求められる現場でした。支援についてチームで話し合いを重ね、強い意欲だけが必ずしも良い活動につながるわけではないこと、まずは患者さんと被災した医療者に寄り添い少しでも力になれるよう心掛け活動できたことは良かったのではないかと思います。自分もいつか同じ状況になったときに患者さんやスタッフに、なにができるのか今から出来ることはなにか改めて考える機会でもあったと思います。

東病院 ICU 副看護師長 田中 章敬(たなか あきたか)

田中 章敬(たなか あきたか)

病院や避難所で暮らしながら働いている現地のスタッフの存在や倒壊した家、崩れた道路などが点在している現状を目の当たりにしました。そのような過酷な中で、現地のスタッフは地域の方々への医療を行っていました。DMAT と協働して看護業務の一部を担い、現地のスタッフの休息を確保する役割でした。私たちの活動は、珠洲市に暮らす方々にとって重要な医療の継続に繋がっていたのではないかと思っています。初めての災害派遣に不安を感じていましたが、NCC職員からの多くの激励や物資の準備、搬送など手厚い支援により安心して活動することができ、とても感謝しております。


上記の2名の他、中央病院看護部17A副看護師長 柿本 英明(かきもと ひであき)、17B 副看護師長 田原 茜(たばら あかね)、東病院看護部4B 副看護師長 小田部 達彦(こたべ たつひこ)が派遣されました。総務部 築地キャンパス 総務係長 近藤 秀二(こんどう しゅうじ)と柏キャンパス 総務専門職 森下 岳志(もりした たかし)が先陣を切り、物品搬送しました。

第9班に派遣された方々

中央病院 17B 副看護師長 市川 勝興(いちかわ かつおき)

市川 勝興(いちかわ かつおき)

支援物資は潤沢にあっても、ライフラインの復旧は未だしていない状況の中、広域的な看護師派遣、第9班のリーダーとして被災地で業務支援を行いました。看護業務の支援活動だけでなく、自身が被災しながらも、患者のために働いている医療スタッフの労をねぎらうため、医療スタッフの思いを積極的に聞く機会を作り、傾聴する支援を行いました。職種や立場を問わず、「がん患者のために何ができるか」を話し合えるがん研究センターの強みを生かせたのではないかと感じます。災害時こそコミュニケーション能力やリーダーシップが試されます。いつ起こるかわからない災害に備え、日ごろからコミュニケーション能力を磨き、リーダーシップを発揮できるようにしたいです。

東病院 6A 副看護師長 逸見 佐恵(へんみ さえ)

逸見 佐恵(へんみ さえ)

災害の急性期は過ぎていましたがインフラ整備は進まない状況でした。現地の看護師は支援看護師が入れ替わる事や慣れない物品を使用する等、今までとは違う状況での看護に苦労しているようでした。そこで私たちの専門的知識を現地の看護師と共有することで、よりよい支援ができるのではないかと考え、交流会を開催しました。感染対策やチューブ管理の相談がありました。また被災した看護師からは被災体験が打ち明けられ、気持ちを発散させる心の支援をすることができました。NCC看護師として日頃実践している「患者さんの思いを聞き寄り添う看護」が活きた支援ができました。


上記の2名のほかに中央病院看護部16B 副看護師長 岡崎 充美(おかざき みつみ)、18F 看護師 北澤 公貴(きたざわ こうき)、東病院看護部5B 看護師 小林 泰之(こばやし やすゆき)が派遣されました。

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