乳がんの悪性化に「温度」が寄与することを発見-がんの転移に関わるエクソソームを含めた新たな分子機構の解明にも期待-
2021年1月5日
東京医科大学
国立研究開発法人国立がん研究センター
国立研究開発法人日本医療研究開発機構
本研究のポイント
- がん細胞周辺の「温度」が乳がん細胞の悪性化に関与することを明らかにしました。
- 温度は乳がん細胞の増殖などの多くの側面に影響を与えることが示唆されました。
- 今後、新たなバイオマーカーの探索やがん悪性化の分子機構の解明が期待されます。
概要
東京医科大学医学総合研究所 落谷孝広教授(前国立がん研究センター研究所 分野長)と国立がん研究センター研究所 細胞情報学分野 山本雄介主任研究員、大塚蔵嵩外来研究員の研究チームは、がんの周辺環境因子の1つである温度が乳がんの悪性度に寄与することを発見し、転移を促進するなどがん微少環境に影響を与えるエクソソーム(注1)分泌が温度依存的に増加するメカニズムの一部を解明しました。
本研究成果は、米国のオンライン雑誌「Journal of Extracellular Vesicles」に12月31日付けで掲載されました。今後、乳がんの悪性度に関わる新たな分子機構の解明と新たな治療標的の同定に向けた研究が進展することが期待されます。
研究の背景
乳がんは世界的に女性のがんの中で最も多く診断されているがんであり、本邦でも罹患数は女性の中で最多です。標準治療法が確立され、生存率が比較的高いがんではありますが、進行度が進むにつれて予後不良となることが知られており、悪性化や転移のメカニズム解明は新たな治療戦略を構築する上で重要となります。
がん細胞を取り巻く周辺環境因子は様々に存在し、その中でもがんの発達に影響を与える酸素や栄養条件などに関して多くの研究がなされてきていましたが、温度変化に関する知見は少ないのが現状です。乳がん症例の腫瘍部は一般的に皮膚温が上昇していることが多く、特に進行した乳がんほど高温の所見を呈する傾向があることが報告されていました。1960年代よりその特徴を活かしてサーモグラフィなどによる乳がんの早期発見の試みが行われており、1990年代にはサーモグラフィから得られた乳がん部の温度の上昇が悪性化や予後との関連を示唆する報告はありました。しかしながら、温度が乳がんの悪性度に寄与するのか、また温度が乳がん細胞の表現型や悪性化に関与するとしてどのような影響を及ぼすか、その分子機構などに関しては未解明のままでした。
本研究で得られた結果・知見
本研究では、はじめにヒトの乳腺上皮細胞株MCF10A、一般的に悪性度が高くなく転移能が低いとされる乳がん細胞株MCF-7(ホルモンレセプター陽性、Her2陰性)、転移能が高く悪性度も高いとされる乳がん細胞株MDA-MB-231(ホルモンレセプター陰性、Her2陰性)の細胞増殖に温度が与える影響を調べました。その結果、MDA-MB-231のみ高温下で細胞増殖が促進されることが分かり(図1)、細胞の移動能(遊走能)や浸潤能も温度依存的に増えることも見いだしました(図2)。
図2 乳がん細胞(MDA-MB-231)の遊走能に温度が与える影響
また、がんの遠隔転移があると生存率が非常に低くなることから、がん細胞の転移能も重要となってきます。近年、細胞から分泌される50~150 nmの小胞(エクソソーム)が、細胞間のコミュニケーションツールの1つとして、転移先の微小環境(前転移ニッチ) (注2)形成などに関与することにより、がんの転移を促すことが報告されてきました。これまでの研究により、乳がんから分泌されるエクソソームが前転移ニッチの形成を促し、がん細胞から放出されるエクソソームの量や質ががんの転移に寄与することが知られていました。本研究では、温度がエクソソームに与える影響を調べるために、温度変化に応答する上記の転移能が高く悪性度も高いとされる乳がん細胞(MDA-MB-231)を温度別に培養し、エクソソーム量を調べたところ、その放出量が温度依存的に増えることが分かりました(図3) 。また、エクソソームに存在するマーカータンパク質を調べたところ、その量も温度依存的に変化することが示唆され、温度がエクソソームの量と質に影響を与えることも分かりました(図3)。さらに、温度帯ごとに乳がん細胞の遺伝子発現を網羅的に解析し、温度依存的に発現が変化する遺伝子の中から温度依存的なエクソソーム分泌に関与する遺伝子も見いだすこともできました。
今後の研究展開および波及効果
がん細胞の周辺環境因子の1つである温度変化に着目し、原発巣の腫瘍発達、遊走・浸潤、転移など、今後乳がんの悪性化に関与する遺伝子など分子機構の解明を行っていくことで、新たな治療標的の探索が進展していく可能性があります(図4) 。また、エクソソームのバイオロジーに関する知見を蓄積していくことにより、転移の新しいメカニズムの解明につながることや、新規のバイオマーカー(注3)の同定、エクソソームを標的としたがん治療研究戦略にも貢献できることが期待されます。
掲載誌名
Journal of Extracellular Vesicles
論文タイトル
Uncovering temperature-dependent extracellular vesicle secretion in breast cancer
著者
Kurataka Otsuka*, Yusuke Yamamoto, Takahiro Ochiya*
URL
https://doi.org/10.1002/jev2.12049(外部サイトへリンクします)
主な競争的研究資金
日本医療研究開発機構(AMED)
次世代がん医療創生研究事業「がん特異的エクソソームの捕捉による新規体液診断の実用化研究」 研究代表者: 落谷孝広
用語解説
(注1)エクソソーム:
あらゆる細胞から分泌される直径50~150 nm前後の小胞体で、脂質二重膜で囲まれています。細胞外小胞(small extracellular vesicles)とも呼ばれており、その内部には、核酸やタンパク質などの情報伝達物質や生理活性物質も内包されています。近年、細胞間コミュニケーションのツールの1つとしても着目されています。
(注2)前転移ニッチ:
がんの転移は、がん細胞が有する転移能だけではなく、がん細胞が転移先の臓器に到着する前に、転移しやすい場の形成がすでに起きているという概念です。これまでの研究から、がんの進展(増殖や転移)などはがん細胞の性質だけではなく、がん細胞と他の細胞を含めた複雑な組織環境で、それらの相互作用により形成される微小環境も重要であることが知られています。前転移ニッチの形成は原発巣のがん組織で産生されるケモカインやサイトカイニンなどの細胞間コミュニケーション因子が関与しているとされていましたが、近年エクソソームを含めた細胞外小胞が将来の転移先の微小環境に影響を与えることが分かってきています。(詳しくは H Peinado et al. Nat. Rev. Cancer. 2017などをご参照ください)
(注3)バイオマーカー:
疾患の有無や進行状態、治療効果を測定するために、生体由来データを定量化して用いられる生物学的指標です。客観的に測定され評価される特性を持つことが望まれており、人間ドックで用いられる腫瘍マーカーもその一種です。近年では、体液(血液、尿など)中の生体情報を用いた早期診断法の開発や個別化医療への応用が進められています。
お問合わせ
本研究に関する問合わせ先
東京医科大学 医学総合研究所 分子細胞治療研究部門
落谷孝広
E-mail:tochiya●tokyo-med.ac.jp
AMED事業に関すること
国立研究開発法人 日本医療研究開発機構
創薬事業部 医薬品研究開発課
電話:03-6870-2311
E-mail:cancer●amed.go.jp
プレスリリースに関するお問い合わせ
東京医科大学 総務部 広報・社会連携推進課
電話:03-3351-6141(代表)
E-mail:d-koho●tokyo-med.ac.jp
国立研究開発法人国立がん研究センター 企画戦略局 広報企画室
電話:03-3542-2511(代表) FAX: 03-3542-2545
E-mail:ncc-admin●ncc.go.jp