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(第12回 希少がん Meet the Expert)

「AYA世代のがん」川井 章・松本公一
(第12回 希少がん Meet the Expert)

更新日 : 2021年9月7日

公開日:2019年9月26日
  • 日時:2017年12月8日(金曜日)19時~20時30分
  • 場所:国立がん研究センター 中央病院1F 希少がんセンター待合
  • 講演1:宮城 順さん(慢性骨髄性白血病・体験者)
  • 講演2:高橋 和奈さん(胃がん・体験者)
  • 講演3:鳥井 大吾さん(粘液型脂肪肉腫・体験者)
  • 講演4:徳永 寛子さん(メラノーマ(悪性黒色腫・体験者))
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動画

第12回AYA世代のがん開会挨拶2
開会挨拶

第12回AYA世代のがん慢性骨髄性白血病体験談:宮城 順2
講演1:宮城 順さん(慢性骨髄性白血病・体験者)

第12回AYA世代のがん胃がん体験談:高橋 和奈2
講演2:高橋 和奈さん(胃がん・体験者)

第12回AYA世代のがん粘液型脂肪肉腫体験談:鳥井 大吾2
講演3:鳥井 大吾さん(粘液型脂肪肉腫・体験者)

第12回AYA世代のがんメラノーマ(悪性黒色腫)体験談:徳永 寛子2
講演4:徳永 寛子さん(メラノーマ(悪性黒色腫)・体験者)

第12回AYA世代のがんディスカッション2
ディスカッション

 開催報告

希少がんを知り・学び・集う「希少がんMeet the Expert」(希少がんMtE)の第12回セミナーが「AYA世代のがん」をテーマに、2017年12月8日に開催されました。

まず、司会の加藤陽子(希少がんセンター)が、AYA(Adolescent and Young Adult)世代について、「定義によって若干異なるものの概ね15~39歳のことをいう」と概説しました。

「年間5000人がAYA世代でがんに罹患しており、進学、就職、結婚などのライフイベントの多い年代であるために、治療のほかに社会的な問題に直面しています。本日のセミナーはいつもとスタイルを変えて、まず、AYA世代でがんに罹患した4 人の方に体験談をお話しいただいてから、医師を交えてディスカッションを行います」(加藤)。開会の挨拶では、西田俊朗(中央病院 病院長)が、「AYA世代のがんの課題について、ディスカッションを通して明らかにしたい、そして、解決につなげていきたい」と期待を語りました。

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    司会:加藤 陽子

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    開会挨拶

今回は、これまでのセミナーと趣向を変えて、がんを体験したAYA世代の4人がそれぞれに、治療当時から現在について体験談を話すスタイルで行われました。

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宮城 順さん

最初は、慢性骨髄性白血病を体験した宮城順さんです。宮城さんは7歳で発症し、9歳で骨髄移植をしました。発症から10年後に白血病の治療は終わりましたが、27年以上経った今も、移植の後遺症によるGVHDという、移植した細胞が体を敵とみなして攻撃してしまうために起こる症状が残っています。

就職してからは、治療の後遺症による体力不足、集中力の低下、ストレス対処力の不足などによって、仕事への適応が難しく、「自分が社会に必要とされていない」と生きていく将来に希望がもてなくなった時期がありました。このころは、「治療をしていた子ども時代よりも何倍もつらかった」という宮城さん。「自分と同じような小児がんを体験した人はどのように暮らしているのだろう」と患者会の扉をたたき、それが分岐点となりました。病気だった経験を社会に還元できることを知り、現在は、闘病体験を話すボランティア活動など、さまざまに活動しています。

 

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高橋 和奈さん

2人目は、高橋和奈さんです。2009年に23歳で胃がんに罹患し、手術と抗がん剤治療を受けました。自分のような若さでがんになった人が周囲に見当たらず、孤独と不安、死ぬかもしれない恐怖を抱えていたとき、若年性がん患者団体「STAND UP!!」に出会いました。体験談がつづられたフリーペーパーを読んで、がんになっても夢や目標をもっていいのだと、勇気と希望を得ました。

2010年に、今度は「自分たちが勇気や希望を与えられる存在になりたい」とがんサバイバー音楽ユニットバンド「カラーボール」を結成し、Rock Beats Cancer Fesに出演。知らず知らずのうちに人前に出ることへの苦手意識までも克服し、キャンサーネットジャパンの胃がんセミナーなどで体験談を語る活動をしています。大学時代に就職活動ができなくなるなど、がん経験により失うものも多かったが、がん体験が自分を成長させてくれたという高橋さん。胃切除後の後遺症にも慣れてきたいま、Rock Beats Cancer Fesを日本を代表するがん啓発チャリティーライブとして継続させることを目標にして前進しています。

 

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鳥居 大吾さん

講演の3人目は、鳥井大吾さんです。3年前の25歳、社会人2年目のときに左下腿軟部腫瘍と診断。手術を経て職場復帰するまでの経緯が話されました。診断の2年半前から自覚症状があり大学病院を受診したが原因がわからず、2年後には患部が膨らんできたことから最終的にがん専門病院を受診し、告知を受けました。

そのときは、痛みや体調不良もなく、「がんというのは、高齢者がかかる病気」というイメージしかなかったため、告知されても全く実感がありませんでした。自宅に戻りインターネットで調べると、死に至る可能性のある病気とわかって怖くなり、さらに、「こんなにも大変な病気だったのか」と実感したのは、術後だったといいます。左足を大きく切開し、筋肉、腓骨、血管2本を摘出したため、激痛が続き、足を下げるとすぐにしびれ、足首がまがらず、術後1週間しても10mを歩くのがやっと状態でした。それでも積極的なリハビリを続けて、退院してからはプールやスポーツジムで、歩行や筋力トレーニングを続けたところ、術後2カ月で職場復帰ができるまでになりました。そして、復帰1月後には、朝から終電ごろまで働くという、罹患前と同じような生活ができるようになったのです。

 

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徳永 寛子さん

最後の講演は、メラノーマ(悪性黒色腫)を体験した徳永寛子さんです。5年前の29歳のときに罹患がわかり、手術を受け、インターフェロン注射の治療を3年間続けました。その1年後に肺転移の切除手術、2017年に脳転移、胸膜転移に対する放射線治療を受け、現在は免疫チェックポイント阻害薬による治療を続けています。

グラフィックデザイナーという好きな仕事に携わっていた徳永さんでしたが、病気がわかったときには、「残りの人生をどう歩んでいこうか」と考えたといいます。「好きなことをもっとやって生きていきたい」と、グラフィックデザイナーと着付けの仕事をフリーランスとして続けながら、もう1つの道を開きました。それは、同じ病気を通して出会った仲間たちとの取り組みです。「何かしたい、ずっと取り組める何かがほしい」という思いを実現する形で、罹患の翌年の2013年に日本で初めてのメラノーマの患者会を立ち上げました。2016年には、メラノーマ患者支援団体の世界会議に参加。2017年には医師を講師に招いて患者さん・ご家族のための勉強会を企画しました。大盛況だったので、規模を大きくしたいというが目標です。

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    ディスカッションの様子

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    松本 公一さん(国立成育医療研究センター 小児がんセンター長)

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    質疑応答

ディスカッションは、体験談を語った4名のほか、松本公一さん(国立成育医療研究センター小児がんセンター長)、川井章(希少がんセンター長/中央病院 骨軟部腫瘍・リハビリテーション科)、および、進行役のがん情報サイト「オンコロ」の柳澤昭浩、司会の加藤陽子をパネリストに、会場に集まった患者さんご家族、医師、看護師が自由に発言を交えて行われました。「治療の後遺症状と就職」「小児特定療養費助成制度終後の経済的負担」「患者会などでの情報共有の大切さ」「恋愛や結婚」「治療と妊孕性」「機能を温存した手術」などが話題に上がりました。AYA世代への対応が考えられるようになってまだ日が浅いなか、患者さんと医療者がそれぞれ手探りで向き合っている経験を伝え共有できたことで、次なる一歩を確信できた集まりでした。

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    希少がんホットラインに寄せられるAYA世代の悩みについて話す加藤 陽子

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    フロアからの質問で盛り上がった

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    参加したメンバーによる記念撮影

   

    • 希子(Mareko)