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グルタチオン代謝阻害剤を用いた合成致死治療法

1.ARID1A欠損型卵巣明細胞がんにおけるグルタチオン代謝阻害剤を用いた治療法の開発

研究背景と目的

ARID1A
私たちは、日本人を含むアジアに多い卵巣明細胞がんや胃がんなどの難治性がんにおいて、高頻度に欠損型の遺伝子変異があるARID1A遺伝子に着目しました。ARID1Aは、SWI/SNFクロマチンリモデリング複合体を構成するサブユニットの一つです。ARID1Aが欠損しているがん種の多くは、有望な分子標的治療法がまだ確立されていません。そこで本研究では、ARID1A欠損がんに有望な治療法を確立するために、阻害剤ライブラリーを用いて、ARID1A欠損がんに特異的に感受性を示す阻害剤の探索を検討しました。

研究成果

ARID1A欠損がんに有望な阻害剤としてグルタチオン代謝阻害剤の同定

まず私たちは、ARID1A欠損細胞に対して選択的に致死性を誘導する阻害剤を探索した結果、Eprenetapopt (APR-246, PRIMA-1MET)を同定しました。Eprenetapoptは、抗酸化ストレス作用のある代謝物グルタチオン(GSH)の阻害剤でした。Eprenetapoptを処理すると、ARID1A欠損細胞で選択的に、細胞内GSH量が低下し、それとともに酸化ストレスの原因である活性酸素種(ROS)が増加することでアポトーシスが誘導されることで致死となることがわかりました。また、GSHの合成酵素GCLCの阻害薬であるブチオニンスルホキシミン(BSO)で処理したときや、GCLCをノックダウンしたときにも同様の現象が起こりました。これらの結果から、ARID1A欠損型細胞において、GSH阻害剤やGSH合成阻害剤などのGSH代謝阻害剤が有望であることが考えられました。

ARID1A欠損がんにグルタチオン代謝阻害剤が有望な分子メカニズムの解明

呼吸などにより、ROSは細胞内で常に生じていますが、過剰になるとDNAなどの細胞内構造が傷つき、細胞は死んでしまいます。そのため、ROSが増えすぎないように、GSHがROSを除去しています。つまり、正常な細胞では、ROSとGSHのバランスが保たれています。なぜARID1A欠損がんでは、GSHあるいはGSH合成経路を阻害すると選択的に致死性を示すのでしょうか?

GSHは、システイン、グルタミン酸、グリシンという3つのアミノ酸がつながってできた代謝物ですが、その原料となるシステイン(Cysteine)の量は、SLC7A11タンパク質によってシスチン(Cystine:Cysteine2分子がつながった代謝物)が細胞の中に運び込まれることによって維持されています。私たちは、網羅的遺伝子発現解析によって、ARID1A欠損がんではSLC7A11の発現が低下していることを発見しました。さらにクロマチン免疫沈降法によって、ARID1AはSWI/SNFクロマチンリモデリング複合体としてSLC7A11の発現を促進していることを明らかにしました。つまり、ARID1Aが欠損することで、システインの細胞内量の維持に重要なSLC7A11の発現が低下することで、細胞内システイン量が低下します。それに伴って、ARID1A欠損がんにおいて抗酸化ストレス代謝物であるGSHの細胞内量が著しく低下していました。正常細胞ではGSHは過剰に存在していることでROSの発生を抑えていますが、ARID1A欠損がんではGSHが少ないためにROSの発生を抑えることが難しい状態にあると考えられました。まさに、これがARID1A欠損がんの脆弱性の原因であったのです。したがって、ARID1A欠損がんにおいて、GSHそのものを阻害したり、GSHの合成を阻害したりすることで、ARID1A欠損がんで元々少ないGSHの細胞内量がさらに少なくなってしまいます。そして、いよいよGSHによってROSを抑えることができなくなることでROSが過剰に増加してしまい細胞死が誘導されることが考えられました。つまり、ARID1A欠損がんでは、GSHやその合成にかかわる酵素タンパク質が弱点(合成致死標的)であり、その阻害薬を用いることで、高い治療効果が期待できます。

生体モデルや臨床検体を用いた検証

卵巣明細胞がんの約50%の患者さんではARID1Aが欠損しています。卵巣明細胞がんの患者さんの臨床病理検体や患者由来細胞株を解析した結果、ARID1A欠損型のがん患者さんではSLC7A11の発現が顕著に低下していました。また、ARID1A欠損型の卵巣明細胞がん細胞株のマウス移植腫瘍モデルにおいて、GSHの阻害薬であるAPR-246を投与したり、GSH合成因子阻害剤のBSOを投与したり、GSH合成酵素GCLCを腫瘍内で抑制したりしたときに、腫瘍内のGSHが減少し、一方で、ROSが増加することでアポトーシスが誘導されることが確認され、それらの効果によって抗腫瘍効果を示すことがわかりました。

研究成果のまとめ

ARID1A_GCLC.png
本研究のがん治療法の提案は、ARID1A欠損がん細胞には正常細胞にはない「代謝(メタボローム)の弱点」があるという発見に基づいています。よって、この最適化がん治療法は、正常細胞への影響が少ないため、がん細胞に選択的な効果の高い治療法となる可能性があります。また、ARID1A欠損は、卵巣がんなどの婦人科がん、胃がんなどの消化器がんを含め、特に日本をはじめとしたアジアに多く、治療法が確立されていないがんで観察されます。また、ARID1A遺伝子変異は、遺伝子パネル検査での同定も可能です。これまでに、卵巣明細胞がんにおけるARID1A欠損がんに対して、GSH阻害治療の有望性を示すことができました(Ogiwara et al., Cancer Cell, 2019)。また、日本人にも多い胃がんの25%ではARID1Aの遺伝子異常が認められます。特に、胃がんのなかでも、未分化型のびまん性胃がんは悪性度が高く標準治療薬抵抗性の難治性の胃がんです。さらに、胃がんの中でも膵臓がんに匹敵するスキルス胃がんもびまん性胃がんの4割に分類されています。私たちは、国立がん研究センターで樹立されたびまん性胃がんの患者由来細胞株を用いて、ARID1A欠損型びまん性胃がんに対してもEprenetapoptによるGSH代謝阻害剤が有望であることを見出しました(Sasaki et al., Biochem Biophys Res Commun, 2020)。

今後の展望

メタボロームを標的とした抗がん剤はまだまだ未開拓ですが、有望かつ新しい創薬領域です。GSH阻害薬やGSH合成酵素の阻害薬はすでに治験薬として検討されています。本研究において、GSHを阻害するEprenetapopt (APR-246, PRIMA-1MET)(Aprea Therapeutics社の治験薬)やGSH合成酵素を阻害するbuthionine sulfoximine(BSO)(治験薬)が、ARID1A欠損がんの治療に有望であることを示すことができました。これらの治験薬を用いてARID1A欠損がんへの臨床試験を検討し、治療法の確立を目指していきたいと考えています。一方で、この治療法を真に実現すべく製薬企業と共同研究で新しいGSH合成阻害薬の創薬開発を進めています。最終的には臨床応用を目指すことでARID1A欠損型の難治性がんの克服に貢献したいと考えています。
このようにGSH代謝阻害剤は、ARID1A欠損型の卵巣明細胞がんやびまん性胃がんなどの治療法が確立されていない難治性がんに有望であることが期待されます。さらに、GSH代謝阻害剤の有望ながん種を拡大していきたいと考えています。ARID1Aは、SWI/SNFクロマチンリモデリング複合体の構成因子ですが、ARID1A以外のSWI/SNF構成遺伝子も様々な難治性がんで高頻度に欠損型の遺伝子異常が見つかっています。これらのSWI/SNF構成遺伝子の欠損がんに対してもGSH阻害剤が有望であるかについての検討をしています。

グルタチオン代謝阻害剤の適用拡大

私たちは、ARID1A欠損卵巣明細胞がんおよびARID1A欠損型びまん性胃がんがグルタチオン(GSH)阻害剤eprenetapopt(APR-246)に感受性を示すことに加え、SMARCA4、SMARCB1、PBRM1欠損型細胞も同様に高い感受性を示すことを発見した。これらの欠損によりSLC7A11の転写が低下し、GSH量が減少、ROSが増加し、アポトーシスが誘導された。したがって、eprenetapoptはSWI/SNF欠損がんであるARID1A欠損型卵巣明細胞がん、びまん性胃がん、SMARCA4欠損型肺がん、SMARCB1欠損型ラブドイド腫瘍、類上皮肉腫、PBRM1欠損型腎臓がんなどに対する有望な治療薬となる可能性があると考えられます(Sasaki et al., Sci Rep, 2024)。

参考文献

Ogiwara H*., Takahashi K., Sasaki M., Kuroda T., Yoshida H., Watanabe R., Maruyama A., Makinoshima H., Chiwaki F., Sasaki H., Kato T., Okamoto A., Kohno T*.

Targeting the Vulnerability of Glutathione Metabolism in ARID1A-Deficient Cancers.

Cancer Cell. 35(2):177-190.e8. 2019

DOI: 10.1016/j.ccell.2018.12.009 PMID: 30686770

 

Sasaki M, Chiwaki F, Kuroda T, Komatsu M, Matsusaki K, Kohno T, Sasaki H, Ogiwara H*.

Efficacy of Glutathione Inhibitors for the Treatment of ARID1A-Deficient Diffuse-Type Gastric Cancers.

Biochem. Biophys. Res. Commun. 522(2):342-347. 2020

doi: 10.1016/j.bbrc.2019.11.078. PMID: 31761322.

Sasaki M, Ogiwara H*.

Efficacy of glutathione inhibitor eprenetapopt against the vulnerability of glutathione metabolism in SMARCA4-, SMARCB1- and PBRM1-deficient cancer cells.

Sci Rep. 2024 14(1):31321.

doi: 10.1038/s41598-024-82753-5. PMID: 39732845

がん研究センタープレスリリース

2019年1月25日

日本人に多い卵巣明細胞がんなどでみられるARID1A遺伝子変異がんを対象に

代謝(メタボローム)を標的とした新たながん治療法を発見

https://www.ncc.go.jp/jp/information/pr_release/2019/0125/index.html

2.ARID1A欠損型胃がんにおけるグルタチオン代謝阻害剤を用いた治療法の開発

これまでの研究で、ARID1Aは、SWI/SNFクロマチンリモデリング複合体のサブユニットであり、SLC7A11の発現を上昇させることで細胞内のグルタチオン(GSH)レベルを増加させまることを明らかにしてきました。びまん性胃がんは、ARID1A欠損頻度の高い難治性がんです。本研究では、ARID1A欠損を伴うびまん性胃がんに対するGSH阻害の有効性を、ARID1A正常型および欠損型のびまん性患者由来細胞(PDC)を用いて調査しました。ARID1A欠損型PDCは、GSH阻害剤APR-246(Eprenetapopt)、GCLC阻害剤ブチオニンスルホキシミン(BSO)、およびSLC7A11阻害剤Erastinに対して選択的に感受性が高いことがわかりました。ARID1A欠損型PDCでは、SLC7A11の発現とGSHの基礎レベルが低いことが示されました。APR-246(Eprenetapopt)処理により細胞内GSHレベルが低下し、活性酸素種(ROS)の過剰生成が引き起こされましたが、システインおよびGSH補充剤の供給によりこれらの現象が抑制されました。これらの結果から、ARID1A欠損型びまん性胃がん細胞のGSH阻害に対する脆弱性は、SLC7A11発現の低下によるGSH合成の減少に起因することが示唆されました。本研究の結果は、ARID1A欠損を伴うびまん性胃がんの治療において、GSH阻害が有望な戦略であることを示しています。

研究背景と目的

ARID1A遺伝子は、SWI/SNFクロマチンリモデリング複合体の構成遺伝子であり、がんの約20%で機能欠損型変異が見られます。これらの変異は、転写、DNA損傷修復、DNA複製、クロマチン分離を妨げ、腫瘍形成を促進します。ARID1A欠損は、卵巣明細胞がん、胃がん、胆管がん、膵臓がんなどの難治性がんで頻繁に見られ、予後不良と関連しています。抗酸化物質は、活性酸素種(ROS)とDNA損傷の誘導を介してがん治療の標的として提案されています。私たちはこれまでに、ARID1A欠損型卵巣明細胞がん細胞において、グルタチオン(GSH)代謝の阻害に対して脆弱であることを明らかにしてきました。本研究では、ARID1A欠損を伴うびまん性胃がんに対するGSH阻害剤の有効性を調査しました。びまん性胃がん患者由来の細胞(PDC)を用いて、ARID1A欠損型PDCがGSH阻害剤に対して選択的に感受性が高いことを示しました。これにより、ARID1A欠損型びまん性胃がんの治療において、GSH阻害剤を用いた新しい治療戦略が提案されました。

研究成果

ARID1A欠損胃がん細胞はGSH阻害剤に感受性が高い

ARID1A欠損型びまん性胃がん患者由来細胞株(PDC)は、GSH阻害剤APR-246に対して感受性が高いことがわかりました。GSH合成酵素阻害剤BSOも同様に、ARID1A欠損PDCに対して効果的でした。

ARID1A欠損胃がん細胞は低いGSHレベルのためGSH阻害に脆弱

ARID1A欠損型びまん性胃がん患者由来細胞株(PDC)は、SLC7A11タンパク質の低発現によりGSH合成が減少し、低いGSHレベルを示しました。APR-246処理により、ARID1A欠損型PDCのGSHレベルが著しく低下し、ROSレベルが増加しました。

ARID1A欠損胃がん細胞のGSH阻害に対する脆弱性はSLC7A11発現低下に起因する

ARID1A欠損型びまん性胃がん細胞の脆弱性は、システイン不足とそれに伴うGSH不足に関連していることが示されました。APR-246によるGSH減少、ROS増加、および細胞死は、システイン補充剤やGSH補充剤の共処理により抑制されました。

研究成果のまとめ

本研究では、ARID1A欠損を伴うびまん性胃がんに対するGSH阻害剤の有効性を示しました。ARID1A欠損は、SLC7A11の発現低下によりGSH合成が減少し、低いGSHレベルを示しました。APR-246やBSO、ErastinなどのGSH阻害剤は、ARID1A欠損がん細胞に対して有望な治療戦略となる可能性があります。これらの阻害剤は、GSHレベルを低下させ、ROSの過剰生成を引き起こし、がん細胞の生存率を低下させました。さらに、システイン補充剤やGSH補充剤の共処理により、APR-246によるGSH減少、ROS増加、および細胞死が抑制されました。これにより、ARID1A欠損がん細胞の脆弱性がシステイン不足とそれに伴うGSH不足に関連していることが示されました。本研究の結果は、ARID1A欠損を伴う他のがん種にも適用できる可能性があり、GSH阻害療法の応用範囲が拡大することを示唆しています。

今後の展望

私たちは、GSH阻害療法が、アジア諸国に特有の難治性がんであるARID1A欠損型びまん性胃がんに適用できる可能性を示しました。さらに、ARID1Aに加えて他のSWI/SNFクロマチンリモデリングタンパク質の欠損も、GSH阻害療法への反応を改善する可能性があります。今後、GSH阻害剤を用いた治療戦略の応用範囲の拡大する可能性について検討していきたいと考えています。

参考文献

Sasaki M, Chiwaki F, Kuroda T, Komatsu M, Matsusaki K, Kohno T, Sasaki H, Ogiwara H*.

Efficacy of Glutathione Inhibitors for the Treatment of ARID1A-Deficient Diffuse-Type Gastric Cancers.

Biochem. Biophys. Res. Commun. 522(2):342-347. 2020

doi: 10.1016/j.bbrc.2019.11.078. PMID: 31761322.

3.SWI/SNFクロマチンリモデリング複合体欠損がんにおけるグルタチオン代謝阻害剤を用いた治療法の開発

SWI/SNFクロマチンリモデリング複合体に関連する遺伝子の変異は、全てのがんの20%で検出されます。この複合体は約15のサブユニットから構成され、cBAF、PBAF、ncBAFの3つのサブコンプレックスに分類されます。以前の研究では、cBAFコンプレックスのサブユニットであるARID1Aが欠損した卵巣明細胞がん細胞が、グルタチオン(GSH)合成に必要な複数の遺伝子と合成致死であり、GSH阻害剤eprenetapopt(APR-246)に感受性があることを示しました。しかし、ARID1A以外のSWI/SNF成分が欠損したがん細胞がeprenetapopt治療に選択的に感受性があるかどうかは不明でした。本研究では、SMARCA4、SMARCB1、およびPBRM1が欠損した細胞が、SWI/SNFが正常な細胞よりもeprenetapoptに対して感受性が高いことを示しました。これらの欠損により、SLC7A11遺伝子の転写が減少し、GSHの基礎レベルが低下します。さらに、eprenetapoptは細胞内のGSH量を減少させ、活性酸素種(ROS)を増加させ、アポトーシスを誘導します。これらの結果から、eprenetapoptはSMARCA4欠損型肺がん、SMARCB1欠損型ラブドイド腫瘍・類上皮肉腫、およびPBRM1欠損型腎臓がんなどのSWI/SNF欠損がんに対する有望な選択的治療薬として期待できる可能性が示されました。

研究背景と目的

SWI/SNFクロマチンリモデリング複合体の構成要素をコードする遺伝子の変異は、全てのがん患者の約20%で検出されます。この複合体は約15のサブユニットから構成され、BRG1/BRM関連因子(BAF; cBAF)、ポリブロモ関連BAF(PBAF)、および非典型BAF(ncBAF)の3つのコンプレックスに分類されます。ARID1Aは卵巣明細胞癌の約46%および胃癌の27%で変異していますが、SMARCA4およびPBRM1は非小細胞肺腺癌の約10%および腎明細胞癌の40%で変異しています。ほぼ全てのラブドイド腫瘍および上皮性肉腫はSMARCB1が欠損しています。SWI/SNF関連遺伝子の多くはがん細胞で機能喪失および遺伝的異常を引き起こすため、合成致死に基づく治療法の開発が有望な戦略です。SWI/SNFクロマチンリモデリング複合体は、クロマチン構造を開くことによって転写、DNA複製、DNA修復、および染色体分離などの細胞機能を調節します。例えば、転写は遺伝子発現を促進する様々なクロマチン調節因子および転写因子によって調節されます。一般に、SWI/SNF複合体は遺伝子転写を促進するため、SWI/SNF複合体のプロモーター機能の異常が転写を減弱させる脆弱性を生成することは見過ごされがちです。

抗酸化物質は、活性酸素種(ROS)によって引き起こされるDNA損傷を防ぐための実用的な戦略として提案されています。細胞内のROSレベルは、生成と除去のバランスによって決定され、抗酸化防御機構によって調節されます。高レベルのROSは細胞損傷や細胞死を引き起こすため、これらの抗酸化防御システムを標的とすることは魅力的な治療戦略です。eprenetapopt(APR-246)は、骨髄異形成症候群(MDS)および急性骨髄性白血病(AML)の患者を対象とした臨床試験でテストされています。eprenetapoptは、チオール基と反応することによって抗酸化代謝物GSH(グルタチオン)を阻害します。共有結合によりGSHレベルが減少し、細胞内のROS生成/抗酸化応答のバランスがROS生成にシフトします。わたしたちはこれまでに上記に示したように、ARID1A欠損型卵巣明細胞がんおよびびまん胃がんにおけるGSH代謝の脆弱性を標的とした新しい治療戦略を提案しました。

ARID1A欠損は、GSH合成に必要なシステインバランスを維持するためのxCTシスチントランスポーター複合体の構成因子であるSLC7A11の転写を減弱させ、基礎レベルのGSHを低い状態にもたらします。この低い基礎レベルのGSHは、ARID1A欠損型卵巣明細胞がんおよびびまん性胃がん細胞をGSH代謝の阻害に対して感受性を高めます。その結果、ROS生成が増加し、抗酸化システムの恒常性が乱れます。しかし、ARID1A欠損卵巣明細胞がんおよびびまん性胃がん細胞が低GSHレベルであるためGSH代謝の阻害に対して脆弱である一方で、他のSWI/SNF欠損腫瘍に対してGSH阻害が有効な治療法であるかどうかは不明です。

本研究では、SWI/SNFクロマチンリモデリング複合体のARID1A以外の他の構成因子が欠損したがん細胞が、eprenetapopt(APR-246)治療に対して選択的に感受性があるかどうかを検討しました。

研究成果

SMARCA4、SMARCB1、およびPBRM1欠損がん細胞はGSH阻害剤に感受性を示す

以前の研究では、ARID1A欠損卵巣明細胞がんおよび胃がん細胞株がGSH阻害剤eprenetapopt(APR-246)に感受性があることを示しました。ARID1AはcBAFのサブユニットです。SMARCA4、SMARCB1、およびPBRM1はそれぞれcBAF/PBAF/ncBAF、cBAF/PBAF、およびPBAFのサブユニットです。ARID1A以外のSWI/SNFサブユニットが欠損した細胞がGSH阻害に感受性があるかどうかを調査するために、SWI/SNF正常型細胞およびSMARCA4欠損型、SMARCB1欠損型、またはPBRM1欠損型細胞株から構成されるがん細胞株パネルを構築しました。次に、eprenetapoptで処理したSWI/SNFが正常な細胞株およびSMARCA4、SMARCB1、およびPBRM1欠損細胞株から得られたIC50(50%阻害濃度)値を計算しました。SMARCA4、SMARCB1、およびPBRM1欠損型細胞株、ならびにARID1A欠損型細胞株のIC50値は、SWI/SNF正常型細胞株のIC50値よりも有意に低かったですこれらの結果を総合すると、eprenetapoptはARID1A欠損がんに加えてSMARCA4、SMARCB1、およびPBRM1欠損がんに対しても有望な治療剤であることが示唆されます。

SMARCA4、SMARCB1、およびPBRM1欠損がん細胞はSLC7A11の発現低下により基礎レベルのGSHが低い状態にある

これまでのわたしたちの研究では、ARID1A欠損はSLC7A11の転写を減少させ、GSHの基礎レベルを低下させることを明らかにしてきました。本研究では、SMARCA4、SMARCB1、およびPBRM1欠損型細胞株でのSLC7A11 mRNAの発現を調査し、これらの細胞株ではSLC7A11タンパク質およびSLC7A11 mRNAのレベルがSWI/SNF正常型細胞株よりも低いことを発見しました。

SLC7A11は細胞にシスチンを供給し、システインに変換されてGSHの合成に使用されます。そこで、SLC7A11の発現抑制がGSH合成の減少につながるかどうかを調査しました。SMARCA4、SMARCB1、およびPBRM1欠損型細胞株では、SWI/SNF正常型細胞株よりもGSHの基礎レベルが低いことが示唆されました。

SLC7A11の転写にはcBAFおよびPBAF複合体のリクルートが必要

SWI/SNF欠損がん細胞におけるSLC7A11 mRNA発現の減弱のメカニズムを解明するために、cBAF、PBAF、およびncBAFの成分であるSMARCA4と、cBAFおよびPBAFの構成因子であるSMARCB1の役割を調査しました。公開されたChIP-seqおよびATAC-seqデータを使用して、SMARCA4とSMARCB1がSLC7A11遺伝子座に直接リクルートされて転写を調節するかどうかを調べました。その結果、SMARCA4がプロモーターおよびエンハンサー領域に局在することが示されました。SMARCA4欠損細胞では、SLC7A11遺伝子座のTSS(転写開始部位)近傍および遠位領域におけるChIP-seqおよびATAC-seqシグナルが低下していました。これにより、SMARCA4欠損がプロモーターおよびエンハンサー領域のオープンクロマチンを減少させ、SLC7A11の転写を減弱させることが示唆されました。SMARCB1(cBAFおよびPBAFの成分)のChIP-seqシグナルは、SMARCB1欠損型細胞株から得られたSMARCB1レスキュー細胞(+SMARCB1)で、SLC7A11遺伝子座のTSS近傍および遠位領域に局在しました。SMARCB1欠損(-SMARCB1)は、ATAC-seq、H3K27acシグナル、およびmRNAシグナルを減少させました。SMARCB1欠損は、cBAFおよびPBAF複合体のSLC7A11遺伝子座の局在を減少させましたが、ncBAFには影響しませんでした。これらの結果は、cBAFおよびPBAF複合体の協調的な関係がSLC7A11遺伝子の転写を調節し、cBAFまたはPBAFの欠如がSLC7A11の転写を減弱させることを示唆しています。

SMARCA4、SMARCB1、およびPBRM1欠損型細胞におけるGSH阻害によるアポトーシスの誘導は、GSHの減少とそれに続くROSの増加によって引き起こされる

eprenetapoptは、そのチオール残基と反応することによって抗酸化代謝物GSHを阻害します。GSHへの共有結合はGSHレベルを減少させ、ROS生成/抗酸化応答の細胞内バランスをROS生成にシフトさせます。本研究では、eprenetapoptがSMARCA4、SMARCB1、およびPBRM1欠損型細胞株においてGSHレベルを著しく減少させ、SWI/SNFが正常な細胞株には影響を与えないことを示しました。対照的に、ROSレベルはSWI/SNF正常型細胞株よりもSMARCA4、SMARCB1、およびPBRM1欠損型がん細胞株でより顕著に増加しました。さらに、eprenetapoptは、SWI/SNF正常型細胞株よりも高いレベルカスパーゼの活性化を示すことによって、SMARCA4、SMARCB1、およびPBRM1欠損型がん細胞株のアポトーシスを誘導しました。これらの結果は、SMARCA4、SMARCB1、およびPBRM1欠損細胞においてGSH阻害剤によって誘導される酸化ストレスの増加が細胞死をもたらすことを示唆しています。

研究成果のまとめ

SWISNF_GSHi

これまでのデータと合わせて、本研究で提示されたデータは、SWI/SNFクロマチンリモデリング複合体がSLC7A11の転写調節に関与するメカニズムを提示しました。cBAFはSLC7A11遺伝子座のプロモーターおよびエンハンサー領域に局在し、一方でPBAFおよびncBAFはSLC7A11遺伝子座のプロモーター領域のみに局在します。cBAF、PBAF、およびncBAF複合体は協力してSLC7A11遺伝子座のプロモーターおよびエンハンサー領域でクロマチンをリモデリングし、転写を促進します。その後、NRF2(抗酸化調節因子)やRNAPII(RNAポリメラーゼII)などの転写因子がリクルートされます。しかし、SMARCA4、SMARCB1、またはPBRM1の欠損はこれらの転写因子のリクルートを弱め、結果としてSLC7A11の発現を抑制します。これにより、シスチンの細胞内への輸送が減少し、最終的には細胞内システインの不足を引き起こします。GSHはシステイン、グリシン、およびグルタミン酸から合成されるため、システインの不足はGSHの合成を減少させます。したがって、SMARCA4、SMARCB1、またはPBRM1が欠損している細胞は低レベルのGSHを持ち、ROSに対して脆弱になります。したがって、eprenetapopt(APR-246)を使用してSWI/SNF欠損がん細胞でGSHを抑制することは、基礎GSHレベルをさらに低下させ、基礎ROSレベルを増加させ、アポトーシスを引き起こすことで、合成致死性を誘導させることが考えられました。

今後の展望

SWI/SNFクロマチンリモデリング複合体の構成因子をコードする遺伝子の変異は、全てのがん患者の約20%で検出されます。特に、SMARCA4、SMARCB1、およびPBRM1は、それぞれ非小細胞肺腺がん患者の10%、ラブドイド腫瘍や類上皮肉腫のほぼ全て、腎明細胞がん患者の40%、で変異しています。本研究の成果から、SMARCA4、SMARCB1、またはPBRM1が欠損したがん細胞株は、eprenetapopに対して非常に感受性が高いことが示唆されました。したがって、eprenetapoptの治療対象は、SMARCA4欠損型非小細胞肺がん、SMARCB1欠損型ラブドイド腫瘍・類上皮肉腫、PBRM1欠損型腎臓がんにも適応拡大できる可能性が考えられます。

参考文献

Sasaki M, Ogiwara H*.

Efficacy of glutathione inhibitor eprenetapopt against the vulnerability of glutathione metabolism in SMARCA4-, SMARCB1- and PBRM1-deficient cancer cells.

Sci Rep. 2024 14(1):31321.

doi: 10.1038/s41598-024-82753-5. PMID: 39732845