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電気泳動法を用いたがん個別化医療のためのバイオマーカー開発
近藤 格
抄録
がんは遺伝的に多様な疾患であり、組織学的、臨床病期的に同じような症例であっても治療への応答性が異なることが知られている。さまざまな治療法が開発される現代では、がんの個性をみきわめて個々の症例に的確な治療方針を立てるための分子診断技術が求められている。そのような診断技術の鍵となるのはバイオマーカーである。治療奏効性、転移・再発・生存など臨床的に重要な所見に相関する分子をバイオマーカーとして同定し、臨床に応用する研究が盛んに行われている。
我々は電気泳動法を用いてバイオマーカー開発を行っている。臨床病理学的な所見に対応するタンパク質を臨床検体から見つけ出し、臨床検査として応用することでがんの治療成績を向上させることが研究の目的である。
タンパク質をできるだけ多く観察するために、我々は二次元電気泳動法の発展系である蛍光二次元電気泳動法(2D-DIGE法)を用いている。2D-DIGE法ではタンパク質をあらかじめ蛍光色素で標識してから等電点と分子量にしたがって二次元に分離する。内部標準となるタンパク質を個別サンプルとは異なる蛍光色素で標識し、混合して一枚のゲルで泳動することによって、ゲル間のばらつきを解消し再現性の高いデータを得ることができる。2D-DIGE法をバイオマーカー開発に用いるために、レーザーマイクロダイセクションで回収される少数の細胞からでも実験ができる高感度の蛍光色素のアプリケーションを開発したり、一枚で5000個ものタンパク質が観察できる大型の泳動装置を作成したり、電気泳動法のデータをデータマイニングの手法で解析する手法を考案したり、質量分析装置で微量スポットからでもタンパク質同定ができるプロトコールを作成したり、データベースソフトを構築したり、さまざまな工夫を我々は行った。
現在までに肺がん、食道がん、大腸がん、肺がん、中皮腫、肝臓がん、膵がん、胆管がん、中皮腫、骨肉腫、Ewing肉腫、横紋筋肉腫、消化管間質腫瘍など、1,400症例以上の手術検体および血漿サンプルを調べ、抗がん剤の奏効性、組織型、術後の転移・再発・生存などに高度に発現相関するタンパク質を特定した。また、7000個以上のタンパク質スポットについて質量分析でタンパク質同定を行った。得られた研究成果は臨床検査会社と共同で事業化・実用化しようとしている。また、実験データをデータベース化し、インターネットで無料公開している(GeMDBJ Proteomics)。
発現解析に関して2D-DIGE法はきわめて有力な手法である。再現性、定量性、網羅性、スループット性の総合的な観点からして、最先端のプロテオーム解析でも2D-DIGE法に比肩するものは未だにない。原理となっている二次元電気泳動法が新しくないという理由で低く評価されることがあるが、産出されているデータをみれば発現解析の手法としての優位性は明らかである。
一方、どの技術もそうであるように、2D-DIGE法にも限界がある。転写因子や受容体など微量にしか発現しないタンパク質はほとんど観察されない。また、2D-DIGE法では「網羅的に」タンパク質を観察できるわけではなく、実験条件に依存してたまたま観察できるタンパク質を「偶発的に」観察しているだけである。たとえば、ある酵素群をすべて観察するとか、ある分子パスウェイのタンパク質をすべて観察する、といった生物学に基づく「網羅的な」解析はできない。これは、等電点・分子量・発現量、という物理学的なパラメータに生物学的な意味がない以上は仕方のないことである。
このような2D-DIGE法の特性を補完するために、我々はウェスタンブロッティングを行っている。転写因子のように微量にしか発現しないタンパク質でも特異抗体を用いれば観察可能である。また、ファミリータンパク質一式、特定のパスウェイに含まれるタンパク質のすべてなども、抗体を揃えれば十分に観察できる。通常の抗体は翻訳後修飾による違いを区別できないことが多いが、あらかじめ電気泳動によってタンパク質を分子量または等電点にしたがって分離してから抗体と反応させることで翻訳後修飾に関するサンプル間の差異を検出できる。我々は約600種類の核内因子に対するモノクロナール抗体、アポトーシスパスウェイやWntシグナルパスウェイに含まれる約300種類の主要なタンパク質に対する抗体、18の分子パスウェイの主要なタンパク質に対する約200種類の抗体、全てのチロシンリン酸化酵素に対する抗体など、合計3000種類の抗体を用い、ウェスタンブロットによって臨床検体からバイオマーカータンパク質を同定している。
電気泳動法はさまざまな技術と組み合わせることができる無限の可能性を秘めたツールである。研究テーマに即して問題の本質をみきわめ、時代ごとの新しい技術思想を柔軟に取り入れることで、これからもさまざまな分野で広く使われていくだろう。臨床に役立つ研究成果を目指し、これからも電気泳動法を活用した研究を行っていきたい 。
関連論文
- 近藤格「電気泳動法を用いたがん個別化医療のためのバイオマーカー開発」(外部リンク)生物物理化学、vol. 55 (2011), No. 1, pp.13-16