前立腺がんの手術と重い尿失禁の治療法ロボット手術で精度向上 術後QOLの改善も
注:本ページは2022年6月時点の情報です。
前立腺全摘除は、前立腺がんの極めて有効な治療法ですが、術後の尿もれが大きな問題となります。東病院の泌尿器・後腹膜腫瘍科では、尿禁制(もれない)と根治性(なおる)の両方を目指した手術の確立ばかりでなく、尿失禁治療にも注力しています。特に、重症尿失禁を改善する「人工尿道括約筋(かつやくきん)埋め込み手術」を積極的に施行しており、多数の紹介患者を受け入れています。科長の増田均医師に、前立腺がんの外科治療と人工尿道括約筋埋め込み手術について聞きました。
東病院 泌尿器・後腹膜腫瘍科長
増田 均(ますだ・ひとし)医師
経歴紹介
1989年東京医科歯科大学医学部卒業。同大泌尿器科准教授、がん研有明病院泌尿器科・前立腺センター副部長などを経て2017年より現職。
「人工尿道括約筋によって重症の尿失禁が改善した患者さんは、見違えるようにアクティブになります。今後は再生医療など治療の選択肢を増やしていきたいですね」
前立腺がんの外科治療はロボット手術が一般的に
前立腺がんの手術は、前立腺と精のうを摘出し、膀胱と尿道をつなぎ合わせる治療法で、「前立腺全摘除術」と呼ばれます。がんの広がり方によっては前立腺の周囲のリンパ節も切除します。手術の方法には開腹手術、腹腔鏡手術、ロボット手術があります。
手術は、最も確実な局所治療で、その治療成績は極めて高いものです。対象は期待余命が10年以上あるとみられる患者さんですが、超高齢化社会をむかえ、70代後半で手術される方も、珍しくなくなりました。転移さえなければ、悪性度の高いがんほど手術する意義は高いと考えられるようになっています。一方、おとなしいタイプのがんは、ほとんど経過観察しています。
前立腺がんに対しては、2012年4月に他のがんに先駆けて、手術支援ロボット「ダヴィンチ」を用いたロボット手術が保険適用になり、急速に全国へ広がりました。現在では、当院の前立腺全摘除術のほとんどがロボット手術です。私自身は14年からロボット手術を始め、これまで約1000例の同手術に関わってきました。また、当院では、年間200例弱の同手術を施行しています。
前立腺は膀胱のすぐ下に位置し、尿道を囲んでいる。前立腺がんは主に辺縁領域と呼ばれる部分に発生する。辺縁領域の近くには尿道を開閉する役割がある外尿道括約筋がある。
ロボット手術は出血が少量で高精度の操作が可能
ロボット手術は全身麻酔で、患者さんの腹部に8mmから20mm程度の穴を6カ所開け、そこから内視鏡カメラと、鉗子と呼ばれる手術器具をつけたロボットアームを挿入します。6カ所の穴のうち1つは、へそを使います。執刀医は、患者さんとは少し離れた場所に置かれている操作席(サージョンコンソール)に座って、3次元の画像を見ながら、両手と足を使ってロボットアームを遠隔操作し、手術を進めていきます。
ロボット手術のメリットは、約15倍に拡大された3次元画像を見ながら微細な操作ができ、出血量が少ないことです。その上、腹腔鏡手術の鉗子には関節がないので操作がしにくかったのですが、ダヴィンチの鉗子には複数の関節があるので、膀胱と尿道の吻合(ふんごう)や性機能に関わる神経の温存も高精度にできるようになりました。
出血量が少ないので、手術後に貧血になることがほとんどなく、回復が早いのも利点です。ただ、病院にとっては手術支援ロボット本体や鉗子も高額であることから、維持費の負担は課題のひとつといえます。
ロボットアームを操作し、前立腺と尿道を離断しているところ。なるべく尿道を長く残すことで、術後の尿失禁を防ぐことが出来る。出血のない拡大視野で、前立腺の形状をよく確認しながら離断できる。
重症の尿失禁を改善する人工尿道括約筋埋め込み手術
前立腺全摘除術の主な合併症は尿失禁と性機能障害です。がんの発生部位と尿の排出を調節する尿道括約筋が近接しているため、手術直後は、約80%の人が、尿漏れしやすくなります。ほとんどの患者さんは、術後1ヶ月から6カ月で回復します。しかし、膀胱に尿がためられず、ほとんど漏れてしまう重症の尿失禁が残る人が約2%います。尿失禁がひどいと、ひきこもりがちになり、がんが治ってもQOL(生活の質)がかなり低下してしまいます。
手術から6カ月後に、尿取りパッドを1日4枚以上使っている状態なら重症の尿失禁と考えられ、骨盤底筋体操では、まず、改善は見込めません。こうした、重症の尿失禁を改善する治療法には、「人工尿道括約筋埋め込み手術」があります。この手術は、尿道括約筋の代わりをする器具を体の中に埋め込み、患者さん自身が排尿をコントロールできるようにする治療法です。
手術は腰椎麻酔か全身麻酔下で行い、60分から90分程度で、出血はほとんどありません。合成樹脂製の器具を陰のうの中などに埋め込みます。器具はすべて体内に埋め込むので外見上は全く分からない状態になります。
尿道に巻かれたカフの中には生理食塩水が入っており、それが膨らむことで尿道を軽く締め付け、尿の漏れを防ぎます。尿意を感じたら、陰のうの中に埋め込まれているコントロールポンプを3回程度つかむとカフが開いて尿道がゆるみ、腹圧で尿を出すことができます。
人工尿道括約筋埋め込み手術は、前立腺がんの手術から1年以上経って、これ以上は改善が見込めないと判断した時点で実施します。
尿失禁を改善する人工尿道括約筋の仕組み
1.通常の尿禁制状態
カフ内は生理食塩水で満たされ膨らんでいるため、尿道が圧迫されている。圧迫が強すぎると血流が悪くなることから、圧は低めに設定されている。
2.コントロールポンプを数回押して排尿する
尿意を感じたらコントロールポンプを3回程度つかむ。するとカフ内の生理食塩水がバルーン内へと移動し、カフが開いて腹圧によって尿を出すことができるようになる。
3.生理食塩水が自然に戻る
(20~30秒後→3分後)
バルーン内の生理食塩水が自然にカフ内へと戻って行く。完全に戻るまでには3分ほどかかるので、その間に排尿を終える。
埋め込み手術の後、すぐに器具を使うと尿道の血流が悪くなる可能性があるので、使い始めるのは6週間から8週間後です。1泊2日の教育入院をしてもらい、患者さんが自分で操作できるように指導してから使用を開始します。操作は簡単で、誰でもできるようになります。
人工尿道括約筋埋め込み手術後は、5割くらいの人は全く漏れなくなり、残り5割の人は尿取りパッドが1日1枚必要な程度になります。ほとんど漏れていた人が、1日1枚パッドが必要な程度に劇的に改善するので、患者さんの満足度の高い治療法です。
当院で人工尿道括約筋埋め込み手術を受ける患者さんの多くは、他の病院で前立腺がんの手術を受けた患者さんです。この手術については、泌尿器科医の間でも
あまり知られていないのが現状です。前立腺がんの患者さんには、術後に重症の尿失禁になったとしても、改善する治療法があることを知っておいてほしいと思います。
軽症・中等症の尿失禁の改善が課題
一方、軽症や中等症の患者さんは、人工物を埋め込むことには抵抗感があるようです。ロボット手術の普及によって手術の精度が向上し、重症の尿失禁は減る傾向にありますが、軽症・中等症の尿失禁に悩む患者さんは減っておらず、軽症・中等症に適した治療法の開発が課題となっています。
海外では、中等症程度の尿失禁の人を対象にメッシュを使って尿道を吊り上げ、尿漏れを防ぐ尿道スリング手術が行われていますが、日本では、男性に対する同手術は保険適用外です。今後は、再生医療の活用など、軽症・中等症の尿失禁の患者さんの治療法の開発が重要だと考えています。
前立腺がんは、手術や放射線治療によって完治する可能性の高い病気です。がんを治すために適切な治療を受けることはもちろん、重症の尿失禁でQOLが低下したときには人工尿道括約筋埋め込み手術などで改善し、病気になる前以上に、人生を楽しんでほしいと思います。